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南米いけばなの旅

いけばなの中の空間―― チリ 3

 パキスタンの首都イスラマバードは、私が訪れた一九八五年には、花屋というものがない街だった。そのかわり家には真紅の大輪のアマリリスやバラ、かすみ草やスイートピーが咲き乱れていた。花屋がなくても、個人のお宅で十分に花材採集ができると私たちは安心した。木の枝も何種類かは採集した。四月の末のイスラマバードで目についたのは、藤色をしたジャカランダの花だった。道端に、高さ数メートルの木になって花を揺らしていた。近寄ってよく見れば枝の先端からは八方に茎が出ていて、そこに小さな葉がついていた。その中心に藤色の花が咲きでているのだった。あのジャカランダをいけてみたい、と私は思った。それはいつもここの人々が見ている花だからである。「水あげがよくなく、切るとすぐぐったりします」と日本人の奥さまは言ったが、どうしても手にとってみたかった。
 一番きれいに咲いているジャカランダをみつけたのは警察署のとなりの空き地だった。玄関にはいかめしい警官が立っている。この木を切っていいという許可を正式にとるのは二週間くらいかかるという。デモンストレーションは次の日だった。となりとの境界がはっきりしないこの空き地は警察のものかもしれない。あるいは公の土地なのだろうか、イスラマバードは政府の各省や庁、機関が集まってつくられた人工の都市なのだ。
「大丈夫、僕が行きます」
 とパキスタン人の運転手がのこぎりをもって空き地に行った。私たちはジープを三十メートル手前にとめた。もし彼に何かあったら私の責任だ。私は車を降りた。やめてもらおうと彼を追った。ところが彼はのんびりと空き地に入り、警官の前で堂々と枝を切ったのである。警官もそれをのんびりと見ていた。
 一メートル半の長さのジャカランダの木は、水をあげるために根元を割り、ふちまで水の入った大きなバケツに一晩つけられた。次の日、元気のよいジャカランダは大統領夫人を主賓にしたデモンストレーションに登場して、大役をはたしたのだった。
「花材採集のためにこの国の多くの方々の多大なご協力をいただきました」
 と言ったが、さすがに、警察のとなりからジャカランダを切ってきたとは言えなかった。
 その国の人々にとって、見なれない外国人が木を切っているという光景は、大きな注目を集める。植物園での採集は、開園時刻より前か、人のいない早朝のことが多い。そして事務所にはいけばなの本を持参し、こういうものを作ります、そして、ぜひどうぞデモンストレーションにいらしてくださいとつけ加える。
「ここの植物園の係が木を切るのはいいのですが、日本人が切っていると目立つので、ここからここまでと指示だけしてください」
 と言われたこともある。日本人がいけばなで、その国の自然まで侵略していると言われたら本末転倒である。いけばなをするため、自然破壊が起こると言われるならば、大きな問題になるだろう。そのため採集には十分気をつかう。公園で事務所の許可を得て木を切っているのに、見ている人たちに大きな声で叱られた師範もいるときく。
 先年のこと、インドで半年前に来たときも機を切らせてもらった植物園に行き、採集をした。そのときも同行していたN君は、ここの植物のありかをよく記憶していた。一周するには一時間ほどかかる。そこを案内してもらいながら、木々のあいだのある一点にさしかかったとき、N君は言った。
「あの龍舌蘭のようなものの後ろに、しっかりとしたそけいの葉みたいな木があったでしょう」
 N君の歩調が早くなった。
「あ、あの木だ」
 若いN君の記憶力に、インド人も日本人も感心したが、責任者のシー氏は言った。
「残念だが、いまはこの木が成長のため力を貯える時期です。切ることはちょっと……」
 花材を調達することだけでも多くの問題があり、私たちが心得ておくべきことがあるのだ。
 気をきかせたつもりで失敗することもある。公邸の庭の木は、切ってかまわないという大使夫人の許可をいただき、私たちは庭を歩いていた。カクテルパーティーも開かれるであろうその庭の木は、切っても切り口が目立ったり、丈がそこだけ短かったりしては見苦しいだろうと遠慮して裏庭にまわった。裏庭の草むらには、いろいろな木がはえていた。そのなかにヒョロヒョロとした二メートル半ほどの木があった。作品の土台を組むのにちょうどよい高さと太さだと見て、私たちはその木を切り倒した。床から立てるつもりなので葉は必要がなく、私たちはそこで葉をとっていた。葉はいらないのか、と通りかかったスリランカ人のコックさんが言った。いらないと言うと、彼はメイドさんとボーイさんをつれてきた。そして黙々と葉を集めはじめたのだ。何かおかしい、と私は感じた。葉をとるのを手伝っているのでもない。裏庭は公邸で働く現地のスタッフたちの宿舎につづいていた。その木は彼らがカレーを作るときの大切なスパイスの木だということをあとで知った。公邸のディナーに招かれたとき、テーブルの上に盛られた料理の中の銀色のいれものの中で、いい香りをプーンとさせているカレーを自分の皿にとるたびに、私の心は痛んだ。
 そんな思いをして花材を集めたあとで、今度は花材をおいておく所にも気を配る。空気の流れはどうか。花材に風は禁物である。花材にとって暖かすぎ、あるいは冷たすぎないか。人がその近くを通って折ったりはしないだろうか。暑い所だと、いけたあとも心配で、冷蔵庫から氷をもってきてもらい、花器の中にいれたりする。心配なものはホテルの自室におくこともある。あるとき採集した花材を、花器は私の部屋にいれるかわり、その一部をN君の部屋においてもらった。バスルームにおくには多すぎたので、ベッドサイドにおいた。ジャングルのなかにベッドがある、といったかっこうになったN君は「平気ですよ」と言ったが、翌朝、何かわからない虫に食われたと言って体をかきながら朝食にあらわれた。蟻か、それとも小さな油虫のようなものか。最後まで正体はわからなかった。そこにおいた花材を、いよいよ部屋から会場に運んでもらったあと、特別念入りにそうじをしてもらうため、N君はチップをはずんだという。マレーシア、クアラルンプールでの話である。

 
― 解説 ―
 
自分の心に言い聞かせておかなければならないこと。
そのひとつが 外国で仕事をするときに 自分は日本人で その行った先の国に お邪魔しているのだ――ということです。今ではそんなことを考える人は少ないかもしれません。
確かに いけばなという(いいこと)を みせよう 知らせようとしているのですが それが誤解とか 反感をかっては何もなりません。花屋で花材を調達するときは何の問題もないのですが 外で枝を切るときなど 今この場で 誰が花材を切るか それにはどんな方法が一番いいだろうか と 一瞬考えてから 行動に移します。
2009 Koka
 
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