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南米いけばなの旅

「花材」求める目―― ペルー 4

 まず花屋に行った。飾りつけも十分考えられ、小さくても小ぎれいで、体裁の整った日本の花屋とは少し様子がちがう。どうもここは作業場のような所らしい。娘さんが一人、かごにアレンジメントをこしらえている。西洋式フラワーアレンジメントをしばらくながめる。
 壁にはいけばなの大判カレンダーが一枚ずつはがされ、額に入れて飾られている。六枚ほどあっただろうか。木わく枠の厚い額縁にいれられた、そのていねいな扱いが、この地が日本から遠いのだという思いをあらたにさせる。
「いらっしゃいませ。あまり変わったものもございませんで」
 日系人のお年寄りが店の奥から出てきておじぎをする。それはごく自然な物腰だった。日本語が一番美しく聞こえる早さ、間のとりかた、もはや日本では聞けなくなった言葉づかい。私はその老夫人の日本語にしばらく耳を傾けた。
「まあ、めずらしいこと」
 T先生の声にふりむくと、そこには丈の短い赤い百合があった。下のほうの葉はすでに黄色くなっていたが、花もつぼみも葉もたくさんついていて、その姿にはたくましささえ感じられる。
 カーネーションも日本に比べると一まわりも二まわりも小さかった。まっすぐで長い茎のものをみつけるのはほとんど不可能に思えた。同じような長さ、開きかげん、そして色、といった品質のそろったものは見当たらないが、昔の日本のカーネーションも、こうだったのではないか。あるいは他の場所に行けば、日本のような大輪のカーネーションがあるのだろうか。そう思いながら私は、自分自身が矛盾した要求をしていることに気がつくのだった。いけばなをする人間として、素材は一つ一つちがうものであり、まったく同じものは世界に存在しないと生徒たちに教えてきた。だから花材をよくみつめ、特徴を発見するのが大切なことなのだと。しかしどうして同じような丈、長さ、開きかげんのものを自分の眼はさがしているのだろうか。
 日本の基準で考えると、このカーネーションは「やや難あり」の部に入るだろう。花市場にもってきても、値は安くつくばかりで商いになるのかどうか。だがいまは、何もそれらをカーネーションと思わなくてもいいではないか。その名前をいったん棚上げして、変わった形をした草花だと思えばいいのだ。
 昔、アメリカンスクールの教室をのぞく機会があった。教室に入ると、背後の壁には一枚の世界地図があった。おや、どこかちがっている、と思った。ふつう日本で学校の教室にはり出されている地図は、太平洋を真ん中ににして日本が左、アメリカが右に描かれているのだが、そのとき見た世界地図はアメリカ大陸がデンと真ん中、つまり私たちが見なれている地図の太平洋の位置にきていて、日本ははるか隅におしやられているのだった。そのときの眼を覚まされたような思いは、いまでも忘れない。それと同じことで、このペルーではペルー中心の地図を思えばいいのである。したがって、花材も、日本を基準に考える必要はないのだ。
 海外ではめずらしい花材に出合えると、経験者はよく話す。それには、日本にはない花材や、同じ種類でも色が特別に鮮やかとか、変わった形をしている、というものなどに出合えるという楽しみのほかに、植物を見なれているはずの私たちの目もあらたにされる、という意味も含まれる。そういうことが私にもはじめてわかってくるのだった。
 目をあらたにする。
 めずらしいと感じる。
 この心境を、数百年前に日本であらわしている文章がある。著者は世阿弥。舞曲能の作者であり、演者でもあった。
 
 そもそも花と云ふに、万木千草において四季折節(をりふし)に咲くものなれば、その時を得て珍しきゆゑに、翫(もてあそ)ぶなり。申楽も人の心に珍しきと知る所。すなはち面白き心なり。花と面白きと珍らしきと、これ三つは同じことなり

(風姿花伝)

 世阿弥のいうところの「花」は、植物の「花」だけを意味するのではない。日本人が「花」というとき、それはどんなに多くの意味を含み、どんなに多くの歴史を背負っていることか。もちろん、世阿弥の『風姿花伝』をはじめとする一連の能楽書のなかに出てくる「花」は、当然同時代の他の芸術との交流を背景にして存在する言葉でもあった。
 花と、面白きと、珍しき――世阿弥の生きていた時代から何世紀もへだたり、日本からも遠くへだったっているのに、私たちの旅は、どうもそれを追っていくものになるのではあるまいかという予感が何となくしてくるのだった。

 
― 解説 ―
 
おや? 能にも造詣が深いのですか――といわれれば まったくの門外漢です。この本を書いたころより少し前 (造形としてみたいけばな)という題で公募していた論文コンクールで グランプリをいただきました。
その論文を書くため 確かに 結構な数の本は読んでいました。その前に英文で Behind Flowers という自費出版をしていて そのときの参考文献の中に 花伝書があります。初めは 流の創始者 勅使河原蒼風家元の いけばなに関しての[花伝書]を読んでいて それでは世阿弥の花伝書というのはどういうものか とのぞいたのです。人から比べれば たいしたことはないのですが 20代後半の勉強振りといえば私にしては 結構していたつもりです。今はあのころのエネルギーは望むべくもなく はなはだ情けない状態です。
2008 Koka
 
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