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南米いけばなの旅

秘すれば花― パラグアイ 5

 能も二番目になると、世阿弥は、
 
 二番、三番になりては、得たる風体のよき能をすべし
 
 といって、得意なものをしてよろしいといっている。しかしこのあとに書かれた『花鏡』では、
 
 二番目の申楽は、脇の申楽には変わりたる風体の、本説正しくて、強々としたらんが、淑やかならん風体なるべし。これは、脇の申楽に変りたる風情なれども、いまださのみに細かにはなくて、手をもいたく砕く時分にてなければ、これも、いまだ序の名残りの風体なり
 
 といって、まだ序のつづきをなしていると考えてよろしい、という。全体で何作披露するかによって、二作目を「序」のつづきとして演じるか、それとも「破」に入ってしまったほうがよいかがちがってくるわけだ。
 いけばなのデモンストレーションでも、あるときはじっくりと進め、あるときはガラリと変化をつけたりする。その進行をよく考えてみれば、室町時代の「連歌」の形式とも相通じる性格をもっていると考えられるのである。連歌をくわしく知っているわけではないが、少なくとも数人が順に歌を詠んでいく連歌には、いつも流れが意識されていると思う。
 
  連歌は前念後念をつがず。又盛哀憂喜、境をならべて移りて行くさま、浮世の有様にことならず。昨日と思へば今日に過ぎ、春と思へば秋になり、花と思へば紅葉に移ろふさまなどは、飛花落葉の観念もなからんや
 
 歌論書として有名な『筑波問答』はこうのべている。自分のつくった流れにのせていくというのは、観客にたえず現在を意識させ、未来を暗示させながら進めていくことである。デモンストレーションのプログラムのなかでは、あ、前のものと似ているという感じを、作品であっても言葉であっても、一瞬でももたせてはいけないのだ。前進はあっても、けっして後退があってはいけない。もし途中で、デモンストレーター自身が説明し忘れたところに気がついていても、追加説明のようなことをしてはいけない。その先の説明や読解のなかにさりげなく折りこんでいかなければならないのだ。
 デモンストレーションのプログラムだけでなく、実際に作品そのものを完成させていく過程にも、『筑波問答』にみられるような進行がありはしないだろうか。はじめにいれた枝が、ある意味をもっているように見えても、次の枝をいれることで、その作品の全体の意味が変わる。また、枝を一つ切りとることが、全体の印象を変えることもある。加えられるごとに、あるいは切られるごとに花材の組み合わせが構成するものはその意味を変えていくのだ。これもまた、
「昨日と思へば今日に過ぎ、春と思へば秋になり、花と思へば紅葉に移ろふさま」
 なのであろう。このような変化そのものを、日本人は肯定的、そして積極的に考え、とらえてきた。
 デモンストレーションの途中、観客が少しざわついてくる。花材に対する興味が話題になっているのか、あるいは他の理由があるのか。空気が少したるんできたのではないだろうか。
 ここで何の話をしたらよいだろうか。大小さまざまな菊をいけていたときだった。
「菊は、日本の国花です」と私は言った。そして天皇家の紋章が菊であり、十六の花弁であるという意味のことを言った。旧暦の九月九日に重陽の節句(菊の節句)というものがかつてあったという話をしようかするまいかと思っていたが、会場の空気が締まってきたのでこの作品の仕上げにとりかかった。
 アスンシオンのデモンストレーションはかなり進んで、前日、のこぎりでも切りきれず、最後に市瀬さんがぶらさがって折った木の枝や、きのうガーデンクラブの会長宅でいただいた、南アフリカから空輸されたプロテアも登場する。見おぼえのある顔が二列目にみかけられる。
「これは何々さんからいただきました」と観客の前でお礼を言いながらその人も紹介する。そんなときにうまくいけられるとほっとする。高価な花材やめずらしい花や木を持っている人に会い、その人に、デモンストレーションに使ってくださいと言われても、はたして好意をうけることがいいのかとまどうことも多い。
「そんなに気になさるのなら、デモンストレーションのあと、切って短くなったものでもいいから、花を返していただける?」
 と言われたこともある。
 人から拝借した大事な花器を使うこともある。きれいな無地の赤いガラスの花びんがあって、その所有者は、どうもこれだと花に対して色が強すぎてと言い、ぜひデモンストレーションの場で使ってみせてほしいと提供してくれた。
 そのときは透明の大きなサラダボールの中に水をはり、その中に赤いガラスの花器をいれた。中央が少しくびれているこの花器にも水を入れ、サラダボールにななめにもたせかける。その口から、葉をとった柳が弧をえがきながら水の中を通って出ていく。黄色のバラのマッスも加えた。
「あの花器はそう使っても、もうひとつしっくりいかなかった。ああやって色として使って、他の器と組み合わせるとおもしろくなるのねぇ」
 とあとで感謝された。

 
― 解説 ―
 
もうあと 何回かでこの旅の記録も終わろうとしています。先日も 久しぶりに フォークランド諸島という名前を新聞で見ました。それが 前に話題になったのが 1982年というから驚きです。そのときに私はまさにアルゼンチンにいったわけです。
草月流に 入門して 50年がたちました。50人の門下と展覧会を開きます。そして 7月には広島で行われる 家元ライブに 家元の前に ひとりでデモンストレーションをさせていただくことになりました。不思議なことに 今の このどきどき感は あの南米の旅をしていたときのデモンストレーションの前の 気持ちと変わらないのです。
2010 Koka
 
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