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南米いけばなの旅

秘すれば花― パラグアイ 1

 パラグアイは自然の豊かな国である。面積は日本よりやや大きいが、人口は一九七六年の推計で、三百万人に達していない。
 同じ年の統計によると、牛、つまり食肉の輸出は、綿花、油料種子についで第三位になっている。あとはタバコ、そして木材。
 この国の、原住民のグアラニの人々が作っているレースの、ニャンドゥティと呼ばれるテーブルセンターの敷きものが、みやげものとして町でみかけられた。牛に多く出合うこの町で、牛の一枚皮を表裏一枚ずつ使った袋をみつけた。牛の皮の大袋は色もついてないもので、かなり重かったが、その安価なことといかにもパラグアイといった感じに、つい二人ともふところをはたいた。
 何か花材になるものはないだろうか。何か花器になるものがみつからないだろうか、という眼は、思いがけない買いものをさせる。
 車で目的地に向かって走っているとき、町のなかを歩いているとき、目に見えるものすべてに、いける対象としての花材というフィルターがかけられる。花器もいけばなの一部なのだから、広い意味ではこれも花材といえる。
 私ははじめ、この旅が〈めずらしき〉と〈おもしろき〉を追う旅になるのではないか、と書いた。たえずそういう目でものを見る。という態度は日本での生活にもどってもつづいた。町を歩いていても車の中にいても、気がつくと「花材」をさがしている自分の姿を発見するのだった。いつも自分が目にしている光景にもかかわらず、あの木の途中のあの幹のあたりから切るといい花材になるとか、あそこの草むらの雑草は集めたら何かの作品に使えるのではないかと、ほとんど無意識に眼で追っているのである。この後遺症は同行の市瀬さんにもあらわれたらしい。
「ああ、日本ではこれはしなくてもよかったのだ。花屋があるんだ」という思いと、それと反対に、花屋に行けば何でも手に入るという恵まれた環境は、いけばなにとってプラスになることだけではないのではないか、という思い。花屋にある花材だけが花材ではないという、あたりまえのことの発見。花材に対する目が、いけばなにかかわる年を重ねるごとに、知らぬ間にくもってきているのではないかという私自身の反省も生まれた。
 そんな思いをもたらしてくれた旅もついに最後の国となった。
 南米六カ国のそれぞれの特色ある国々でいけた花は、あらたな花を私の心のなかに咲かせた。旅のはじめのころは、いけばなをいけてみせるということに私の全神経は注がれていた。しかしまもなくそれを見た人たちからのさまざまな反応が、私の心のなかに思いもかけないものを、ずっしりと残してくれた。
「花」。この言葉がいままでよりずっと重くひびきだしてきたのである。
 
 花材採集をするとき、公園や植物園で枝ものを手にいれるときや、個人の庭に咲いているものを採るときは別として、花々はやはり花屋と花市場で調達するということが多い。とくに同じものが大量に必要なときはどうしてもそうなる。この旅以降、機会に恵まれて訪ねた国々でも、花材の調達先は花屋にはじまり、果物屋、八百屋、町の雑貨屋など実に多様だった。赤い花が、手にいれた花材のなかにないときは、赤いコースターを使用した。枯れ木にみかんをワイヤーでつけるため、マーケットのなかの果物屋にも足を運んだ。なかには花屋、花市場がない所もあってびっくりしたが、そのかわり家々に花が咲きみだれているのを見て納得した。
 ここアスンシオンの花屋には何種類かの花が飾ってあったが、その種類は多くなかった。
 季節によるかもしれない。バラのアレンジメントのなかには花首だけを木の先につけたものもあった。バラの花びらの外側はとられ、中側のひらいていないところだけが使用されていた。スプレー菊、バラ、カーネーションをとっておいてもらうことにしたが、それだけでは足りず、どうしようかと店を出た。花屋ではなくても豊富な種類の花材が入手できるところがあるとだれかが言っていた。それは花市場なのだろうか。
「お花は墓地の前でも売られています。朝、ずいぶん早いですが、行ってみましょう」
 翌朝、大使夫人がみずからハンドルをにぎってくださって、公邸から一、二分の近さにある墓地の入口に到着する。
 朝七時すぎというのに、屋台の上には、こちらに向けて花が積まれている。束にされて売られているようだが、一束の量はそんなに多くはなさそうだ。最小単位は六本、半ダースといったところだろうか、一部はまだ紙がかぶさったりしている。スカーフをかぶったおばさんたちが、開店準備にいとまがない……といっても、私たちにはけっこうのんびりした動作に見える。こんなに早くお墓まいりをする人たちが来るのだろうかとあたりを見まわすが、お客の気配はない。大きな木の下、墓地の入口のコンクリートの門の両側には、十軒ではきかない店が台を連ねている。売り切れると帰ってしまうのか、朝だけの営業時間か、一日中か。グラジオラス、バラ、スターチス、デイジーなどの黄、赤、白、紫、ピンクの色が鮮やかだ。

 
― 解説 ―
 
この旅をして以降 2回も仕事に行ったチリを除き あとの5カ国の中で再度訪れた国はありません。
年々記憶が遠くなっていくこれらの国々で パラグアイの私のイメージは 赤茶けた土の色なのです。日本にいるとパラグアイの話は まったくというほど聞くことはありませんが 本部のインターナショナルクラスには つい最近までパラグアイの大使夫人がお見えになっていました。日本のかたなので 日本語でいろいろお話をする機会がありました。もう本国にお帰りになったのですが ニャンドッティと呼ばれる きれいな色のレースのドイリーを私にと オフイスに託けて下さいました。それを見たとたん 次から次へとパラグアイの色の記憶が戻ってきました。 刺繍の赤や緑 細工物のグリーンや黄色の色調 そして 土の赤っぽい色もはっきりと思い出させてくれました。
国のイメージは いろいろありますが 私にとってパラグアイのイメージは明るい太陽の下のあの独特な色なのです。
2009 Koka
 
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