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南米いけばなの旅

時分の花― アルゼンチン 2

 この紛争が大きな話題になっているなかで、私たちがアルゼンチンに行くと聞いた日本の人たちは一様に、本当に行けるのかと心配してくれた。実のところ身の安全、ということに関しては気にしていなかった。紛争は首都から千五百キロも離れている島々でのことでもあり、万が一の最悪の場合には、私たちがアルゼンチン入りする以前に、この旅そのものが中止になるだろうと思っていたからだった。そんなことは、起こらないだろう。
 経済的に必ずしもうまくいっていないこの二つの国が、戦争という形で経済をなおさら混乱させていくということは両国の世論が許さないだろう。
 それよりいまの時期に、日本からいけばなの使節が行って喜ばれるだろうか。そのほうが問題だと思った。こちらはいけばなをやってるような事態ではないんだよ、と言われないだろうか。あるいは逆に、こういう時期だからこそかえって喜んでうけいれられるだろうか。
 外務省や国際交流基金の方々も心配し、現地との交信をもとにいろいろと検討し、結論の出るのを待っていたようだった。そうしているうちにも出発の日はせまり、現地ブエノスアイレスの日本大使館の最終的な判断と決定を待つ、ということになりブエノスアイレス行きをいちおうスケジュールにいれて、私たちは東京をあとにしたのだった。そして予定にしたがって各国をめぐり、やがてアルゼンチンの一つ前の訪問国、ウルグアイで、ブエノスアイレスの日本大使館から、私たちの到着を待っているという連絡をうけ、アルゼンチン行きはついに決定した。
 
 街の真ん中にある飛行場からブエノスアイレス入りをした私たちは、たくさんの車が何ごともないかのように行きかうハイウェイをホテルに向かっていた。
 いままでの国々では、飛行場から街に入るまでの時間は、車窓を過ぎていく木や草のなかに何か花材になりそうなものをみつけようという真剣な観察に費やされた。しかし今度ばかりはそんなことも頭の隅におしやられてしまったようだった。
「何だか……ずいぶんちがいますね。日本で想像していた様子とは」
 十二車線もあるという七月九日通りの車の多さに気をうばわれながら、私は言った。助手席から日本文化センターの所長でもある大使館のR氏が、
「そうでしょうね」
 と温厚な表情で答え、この国のことを知らない私たちにもわかりやすく、日本の七倍半もある国土、そして紛争のことについて話をしてくれた。
「いわゆる戦時下なわけなのですが、この街はそれでもまだ夜一人で歩いても平気ですよ。よほど危ない所に行けば別ですが。まあ、東京なみというところでしょうか」
 車はやがて目抜き通りに入っていく。ところがそこは、いままで見た南米のどの町よりも活気にあふれていた。東京の銀座を歩く人々のように、ブエノスアイレス市民は生き生きとそぞろ歩きを楽しむ、といったふうである。
 これは、どういうことなのだろうか。
 だが、そのうち目につきだしたのは、異常なくらいのアルゼンチン国旗の数だった。水色と白の縞。その真ん中に金色の太陽が輝いているのもある。その国旗やバッジを売っているスタンドが街のそこここに出ている。そのバッジを凱旋将軍のように上着じゅうつけた男たちが、大声で町行く人に呼びかけている。あとで私たちがいただいたプレゼントにも、このブルーと白のリボンが、キュッと結ばれていた。
 ブルーと白の氾濫。
 もっともあとで知ったことだが、五月二十五日が独立記念日、もう少しあとの六月二日がこの国の国旗の日、と定められているのだそうだ。しかしそれにしても、あまりにも多くの国旗ではないかと私は思った。これが戦いがはじまったばかりの雰囲気なのだろうか。戦意高揚という意義のもとに盛大にやっているのだろうか。
 いまの段階では、実際に戦場に送られているのは職業軍人だけらしく、そのためか一般の人々はそれほど危機感をもっているように見えなかった。
 
 デモンストレーションも何回目かになると、自分独自のペースとか展開とかが生まれてくる。しかしここアルゼンチンのデモンストレーションは、ことさら身の引きしまる思いがして、せまってくる開始時間が気になった。こんな状況のなかにありながら、町の中心にあって二百五十名ほど収容する会場は満員になった。花器、花材、手順のほかに、何かははっきりしないが、小さなことを見落としているようで、それが気になり、不安だった。日本では、このアルゼンチンとイギリスのあいだのフォークランド諸島の領有権をめぐっての紛争はトップニュースで伝えられたが、日本人の一般の関心は、それほどではないように思えた。私たちがブエノスアイレスに着いて、何人かのこの国の人たちと話をする機会があった。私が、
「こんな紛争になって、大変ですねぇ、フォークランド諸島というのはここからどのくらい遠いのですか」
 という何げない質問をしたときだった。
「いえ、マルヴィーナス諸島です」
 とその人は静かに言った。同じ島々をイギリスはフォークランド諸島といい、アルゼンチンはマルヴィーナス諸島という。そこに、複雑な思いのこもっている彼らの心情を察してあげるべきだったと反省した。

 
― 解説 ―
 
直接本土には遠いとはいえ 二国間の 領有権紛争の国に入っていくというのは これが初めてでした。後に湾岸戦争の影響で インドにいけなくなったというのはあります。アフリカのスーダンの不安定な情況のときにもいきましたが 後にも先にも 国旗がこのように 掲げられるのが こんなに異常に感じられたことはありませんでした。疲れていたにもかかわらず いままで味わったことのない緊張感を常に持っていました。 冒頭にあったように 今この国に行っていいのだろうか 迷惑ではないのだろうか と思ったことが 空港に着陸するまであったことが昨日のように思いだされます。
2009 Koka
 
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