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南米いけばなの旅

雲の上のデモンストレーション―― ボリヴィア 7

 きのうと同じ日会会館で、きょうはいけばなの講習会が開かれることになっていた。花材が集まったとき、それらのなかから講習会用に少しとっておいたことと、参加者が花材も花器も各自持参するということで、私たちの気分は少し楽になっていた。それと、講習会開始までの時間は私たちの自由時間なのだ。
 会場まで歩いていこうということになった。ラパスの高く晴れあがった空の下をO氏と歩く。二日前の高山病が嘘のようだ。
「先生方は伝統のあるお仕事をなさっておられますが、実は僕はもっと古いことを研究しているのですよ」  とO氏はニコニコする。端正な顔の目尻が、笑うとトンとさがる。実は化石の大変なマニアで、そのコレクションは世界的にも有名らしい。
「給料のおおかたは、化石に使ってしまいますねぇ」
 と言って、山上の化石のたくさんある所の話とか、化石集めに一週間くらい河原でテントに泊まりこんだときの話とか、完全な形の化石をみつけたときの興奮などを話してくれる。
「夜、テントをはっていると、星がとても近く見えるんです」
 高倉健に似たO氏は、なかなかのロマンチストらしかった。
「日本の子供たちが、何万年、何億年前の化石を見ながら勉強するってねぇ、いいと思いますよ。文鎮か何かにして、一人に一個ずつもたせたいなぁ」
 O氏は、私たちがボリヴィアをたつとき、「はいこれ、おみやげ」と小さな包みをくれた。丸いかっ色の石は二つにわれていて、開けてみると三葉虫の化石だった。石の中の三葉虫はギザギザの縞をはっきりみせ、目らしき二つのものをキッとあげ、なかなかおもしろい形をしていた。とじこめられてどのくらいになるのだろう。いま、三葉虫は東京のマンションの五階に、四千メートル近いアンデスの山の中からやってきて鎮座している。何万年後かに日本に来るなんて、彼は思いもしなかったことだろう。いや、そのころはアメリカ大陸と日本は陸続きだったかもしれないから、ちょっととなりに来ただけよ、と思っているかもしれない。彼は化石になって残ったが、それを所有している私には、彼のいったい何百万分の一の時間があるというのだろうか。
 私たちはやがて、国会議事堂の前に出てきた。他のいくつかの南米諸国と同様、ボリヴィアは当時、軍事政権下にあったため国会は開かれていなかった。軍事政権とはそういうことかと、私は実に堂々とした建物を見上げた。
 夜一時以降は外出禁止令がしかれていた。できるだけ早寝をすることを心がけていた私たちはあまり関係のないことだった。しかし例外というものにはいつも興味をそそられる。
 一時をまわってから何かの理由で車を運転していて、家に帰る途中にその時間になった場合は?
「ああ、もし運悪く捕まってしまったら、運動場みたいな所に連れていかれて、朝まで車の中でしょうかね」
 ボリヴィアは、地図を見るとそのまわりをブラジル、チリ、パラグアイ、アルゼンチン、ペルーにかこまれている。海はない。それなのにこの国には海軍があるという不思議。
「『海軍』という訳しかたは適当ではないでしょうな。ま、『水軍』あたりが妥当でしょう」
 とO氏は論評する。チチカカ湖で水軍が訓練をしているテレビ番組があったという。山国なのになぜまた海軍があるのですかという質問に、大佐か中佐かが、領土が広がったときのためと答えたそうだ。ボリヴィアはかつて海へと通じる領土をもっていたのだった。一八八四年、チリとの戦争で太平洋へ通じる領土を失い、今世紀に入ってからは、パラグアイとの戦争でまたも領土を失うはめになる。
 ボリヴィア海軍にしてみれば、この訓練には複雑な思いがこめられているのである。
 
 十六世紀の植民地時代にたてられた、石の彫刻の美しいサン・フランシスコ教会から、その横にある坂道を登る。一つ一つしきつめられ、角が少し丸くなりだした石畳に、靴のヒールをとられないように歩く。この町では足元だけ見れば、白人かそうでないかがすぐわかる。インディオの女性はまずペチャンコの靴をはいている。ヒールの少しあるサンダルをはいている私は、ここでは足元からしてよその人なのだ。
 急坂、そこにはっているせまい道。だが一方では、そこを歩く人々、咲きかかる黄色の花々、太陽と澄んだ空気、中をのぞいてみたいインディオの人々の家と、魅力にあふれたものがいっぱいだ。街路を横断するごとに、ふとそれと交わっている道の方向に行ってみたい衝動にかられるのだった。
 私たちがますます追求したいと感じているこの国の魅力。しかしその底には貧困と、不安定さと、そしてどうするすべもないこの国の地理的条件からくるさまざまな困難が重く沈んでいるにちがいない。しかし私の目にうつったラパスの街の坂道には、実に豊かな、温かい色が躍っているようだった。道の両側には、店が並ぶ。アルパカの敷きもの、ポンチョ、セーターなどが店先に積まれ、天井からも商品がさがっている。店のとぎれた路上で、インディオのおばさんが座りこんで果物を売っている。漆黒の髪がにぶく光る。そこにやってきて品物を見ている赤銅色のしわの深い女たち。道の反対側のおばさんの前にはスプーンや貨幣、そして何か家具の足の部分だったような、何に使用するのか判然としないものが大ざっぱに並べられている。O氏はかがみこんで、一つの貨幣を陽にかかげてみる。
「そうとう古いものですな、これは」
 そう言って氏は、それを貨幣のいっぱい入っている銀色の皿の中にかえした。

 
― 解説 ―
 
大統領が ほとんど毎年変わる国ボリヴィア といわれるととても珍しかったので ここにも書いたのだと思うのですが なんだか私たちの国も四半世紀たつと似たような状態になってきました。
あのO氏にいただいた化石は しっかりと我が家の飾り棚の中にあります。この家でまさに 最長老です。自分で買ったお土産や 旅でいただいたプレゼントも整理したり 引越しをした時にどこかに消えてしまったものもありました。これからは 本当に好きなものだけを残そうと思います。それをきれいに飾れば私のアートセンスも認められるのでしょうが 思い出がいっぱい詰まったものが多く やたらと飾るのもどうかと思うし……と いつも悩みの種です。
2009 Koka
 
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