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南米いけばなの旅

雲の上のデモンストレーション―― ボリヴィア 1

  世界最高の高度にある首都は、おそらくアジア大陸のヒマラヤ山脈付近かアフリカ大陸のどこかだろうと漠然と思っていた。
 しかしそれは実は、ボリヴィアのラパスなのである。ただしそれには、「事実上の」というただし書きがつく。たて前上の首都は、チチカカ湖をずっと南下したところにあるスクレ。それに対して政治経済の中心は、アルチプラノ大地にはりつくように広がった高度、海抜三千七百メートルのここラパスである。
 ラパス空港のターミナルで、掲示されたサインにしたがって進んでいくと、日本人らしい人が三人立っているのが目に入ってきた。大使館の文化担当のI氏、中年のO氏、そしてNさんという可愛らしいお嬢さんだ。ひととおりのあいさつがすみ、それではと、身のまわりの荷物を持って出口に向かおうとする私たちに、三人は急に真剣な表情で「はい、お持ちします、お持ちします」と、私たちが肩からかけているショルダーバッグまでうばうように持ってくれる。驚く私たちに、O氏はやさしく、しかしおごそかに言った。
「ゆっくり歩いてください。ここに来る六〇パーセントの人は、高山病にやられます」
 たしかに、私たちの次の目的地がラパスだというと、ほとんどの人が、必ず何らかの忠告をしてくれたのだった。要するにそれは、空気の薄いことに関する警告だった。
 東京の速度で階段を上らないこと。上るとてっぺんで倒れるかもしれない。
 夜更かし厳禁。高いところでは頭の中の酸素もめぐりが悪くなるから、考えられないようなうかつなことをする。
 それを一番端的にあらわしていると思われたのは、
「ラパスではドロボウもゆっくり逃げ、警官もゆっくり追いかける」
 という言葉だった。
 富士山の頂上より高いこの町で、はたして十分に仕事ができるだろうか。スイスで登山電車にのって、数時間同じような高さを経験したことはあったが、今度は六日間の滞在で、仕事もするのである。東京を出るときから不安はあった。
 またこの国は、その名前となったシモン・ボリーバル初代大統領から百八十人ほど、大統領が代わっているという。この間百五十年。年に一回か二回の大統領交代ということになる。政情が安定していないということなのか。
 だがラパスの段々になっている町を見おろした崖のふちに立ち、ふきあげてくる風にポンチョをひるがえしているインディオの姿や、黒く固い皮でできた、すそが少し外にひろがっている中世のかぶとのようなケチュア族の帽子「モンテラ」の写真を見たりするうち、私のラパスに対する思いは、しだいに深くなっていったのだった。
 インディオの人たちのいる雲の上のいけばなは、どんなものになるのだろうかと。
 気がつけば大柄のドイツ人らしい中年の女性が、大きなバッグを腕にとおし、通路の手すりをつたいながら進んでいる。ジーンズにリュックの若いカップルも手に手をとりあい、ビジネスマンらしい二人の男性たちも、アタッシュケースを片手にソロリソロリと歩いている。それは東京では想像もつかない光景だった。私たちもそれにならい、スローモーションのような足どりで進んでいく。ここに到着したこの国への訪問者は、自分の属している文化、宗教、国籍、性別を問わず、文字どおり山の上の「おのぼりさん」にならざるを得ないのだ。
「よかった。大丈夫らしいですね。顔色もよろしいし」
 先ほどから私たちの顔を見ていたO氏が、ようやくほっとした表情で言った。
「K女史、あの方は旅行家でほうぼう行ってらっしゃるが、このあいだここにみえて、高熱を出しましてね。医学博士のI女史も気分を悪くされました」
 その一言に一抹の不安を覚えたものの、マスコミによく登場するお二人は私たちよりずっと歳上だし、さぞ強行軍のスケジュールだったのだろうと思いなおして、空港ビルをあとにした。
 飛行場は山の上の草原の真ん中に位置していた。大気を胸いっぱい吸ってみる。草原のむこうには雪をいただいた山々が、むっくりと並んでいる。文字どおり「ラパス(平和)」の風景に、東京での心配も数々の忠告もすっかり忘れて、ラパスに来てよかったと、私は心から思ったのだった。
 車は、空港からすり鉢型にすぼまっている町の底めがけてカーブをまがっていく。O氏はひときわ高くそびえる白い峰を、あれがイリマニ山ですとさす。六千四百メートル級のイヤンプ山と並んで、アンデス山脈の一部、レアル山脈を形成している。道の両端はトタン屋根、レンガの家が多いが、インディオたちが住んでいるのだろうか。そのとたんに急カーブ。体が大きくもっていかれてしまう。体勢をたてなおし、となりにごめんなさいというと、次のカーブに入っていき、今度はとなりがあやまる。そんなことをくり返して車は中腹にある町の中心へと進んでいく。
 近代的な、スモークガラスばりのホテルは、このすり鉢の中途にあるが、それでもまだ高度は三千六百メートルという。ロビーからは雪をかぶった山々の遠望が楽しめる。人口は約八十万人。都市というより村に近い感じだ。
 ラパスの人口の半分がインディオ。そしてボリヴィア全体の九〇パーセント近くが、インディオとメスティーソという。インディオの女性たちがギャザースカートを何枚にも重ねユサユサと通っていく。多くは色とりどりの縞の入った、ふろしき包みのようなものを背負っているが、それが赤ちゃんのこともある。片かけの房を、ゆっくりとゆらしながら坂を下っていく彼女達の頭の上の帽子は、どこか高山帽に似ている。昔、イギリス人が、政策上の理由でボリヴィアに売りつけたものが起源だというが、本当だろうか。男性はごくふつうのシャツとズボンが多いが、なかにはユーチョという毛糸で編んだ、耳のかくれるような帽子をかぶっている人もいる。背は高くない。

 
― 解説 ―
 
あれから 4半世紀以上もたつでしょうか。多くの都市に行きましたが それから今に至るまで 行く機会のないところのうち もっとも印象的なところは?と聞かれると真っ先にあげるのは このラパスでしょう。あんな空港の高度が4200Mというところに仕事で行ってくれという依頼が もし 今仮にあったとしても はたして引き受けるでしょうか。若かったから あの土地のことをよく知らなかったからこそ 行くことができた。そしてそれが若さの特権というものだったのだなと 今になって思います。
2008 Koka
 
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